えええっせい

えっせいです

消えた学園モノ:跳梁跋扈だ異世界だ

 ねらわれた学園、ということではない。消えたのは「学園モノ」である。そして消えた隙間には「異世界モノ」が収まっている。

 なんのことはない、またライトノベルの話である。しかし私が愛したライトノベルはもういない(ような気がする)。つい最近「学園キノ」がなんと8年振りに発刊したのだが、最近はもう異世界異世界で……。

 その昔、と言っても10年か20年ほど前であるが、これはもう学園モノの時代であった。ちなみにその前が、異世界モノの時代である。といっても、転生ではない。スレイヤーズやらおざなりダンジョン(漫画だが)やらで、要すれば指輪物語と同じただの”異世界”である。それが80年代から90年代前半で、その後は学園モノの花が開くのである。

 学園モノ。甘美な響き。日常と非日常の合間に咲いた一輪のバラ……と書くと何を書いているのかさっぱり分からなくなるが、私が言いたいのは「学園モノはかつて日常の隣にあった」ということだ。要すれば、ちょっと背伸びすればその世界に行けそうな気がする。放課後の実験室でラベンダーの匂いを嗅げば時間旅行が出来る、そういう意味での現実との近さである。ライジンオーだってさ、ありそうでしょ。学校のロッカーに入ってさ、そこからロボのコクピットに乗り込む、というのはありそうじゃないですか?

 ライトノベルに話を戻せば、例えばフルメタル・パニック!とかは、風間君とか恭子とかにはなれそうな気がするんだよ。相良宗介とか千鳥かなめにはなれないかもしれないけれど、モブにはなれそうな気がするんだ。撲殺天使だって、私の元にさえ来てくれればあるいは、いつの日か……と夢想する残余地があるわけだ。

 しかし若人の想像力、行動力というのはある一定から下がってきたらしく、「そんなのありえねーよ。できねーよ」という言葉が感想の大半を占めることになったわけで。だって、撲殺天使が来たって、多分私たちは何も出来ない、エルドランに選ばれた教室になったとしても、恐らく自分は何もしない。放課後の実験室には、まず行かない……要すれば、受け身の姿勢がより顕著になったということだ。風間だってパンティ盗んだんだぜ?

 そうすると学園モノは「自ら行動する」ことが求められるので、今の若人の食指には合わない。じゃあどうするか。行動するように追い込まれるシチュエーションを作るのである。それがトラックに跳ね飛ばされた異世界だ、というわけだ。異世界に追い込まれれば、いるだけで「チート」(この言葉、嫌いなんだが)になることができれば、そこまでお膳立てすれば行動するだろうということだ。誰だって、相手のカードが全て見えているババ抜きならやるだろう。

 つまり、異世界モノをのさばらせ、学園モノが衰退の一途にあるこの状況の責任は……誰にあるんでしょうね? 政治か? 政治が悪いんだな!? それとも経済か? 我が国の停滞した失われた10年が悪影響を及ぼしたに違いない!

 ……いや、知らんけど。どないしたらええねや。