えええっせい

えっせいです

忘年会ハラスメント:いつかは僕らも桑田真澄、でも今は……

 表題の通り。忘年会ハラスメントが日本人きっての話題だ。

 ざっくり言うと、行きたくもない忘年会に強制的に参加させるのは、この21世紀自由の世紀に生きる人間の有り方としていかがなもんですかね(# ゚Д゚)ムカー という問題提起。

 いや、全く正しい。そうなんだよ。あり得ないんだよ、強制忘年会。明らかに勤務時間外にも関わらず、会社が強権的に立場を利用して、一般的に弱い立場である雇用者に対して、時間を奪うという暴力を振るうのは、言語道断であり議論を待たない。これ、マジ。自然の摂理にして公理だし、勤務時間外の拷問は絶対に避けてしかるべきなのである。

 で、ここまでが一般論。正解。改めて自然の摂理である。ここから下が私の意見。

 前提として、私は骨の髄まで社畜。会社に忠誠を誓っているし、なんなら今年の年末年始の九連休を最終営業日まで気が付かず、手持無沙汰さに絶望しているし、要すればザ・グレート・社畜。アベレージの月間残業時間は80時間を越えているが、どうとも思っていないタイプの社畜だ。もちろんタイムシートは九時六時。

 で、こんな私は当然のように忘年会に参加する。理由は3つ。

 一つ。忘年会の4時間程度を会社に提供したところで私の人生は全く変わらないから。要すれば、ネット・サーフィンとかツイッターとかしている時間を削ればいい話で、一分一秒を争うほどの血で血を洗う時間を生きてはいない。いや、勿論私が錦織圭とかイチローとか、そういう類の一秒一秒を刹那切り詰めて生きている人間であるなら断る「意義」はかなりあると思うけれど、私のような生活ではそうとは言えない。でも、大半の人はそうじゃなくって? 返す返すも、私の意見、というか私の行動。意見としては、「とは言ってもやっぱりネットサーフィンしてたいし」というのが本音。でも、「しゃーないか」という気持ちで4時間をツブす。

 二つ。忘年会に参加することで評価を「相対的に」上げたいから。お世辞にも仕事上でバリバリサイコー、なパフォーマンスを発揮していない私は是が非でも忘年会に出席して、お酌をして、本年の御礼申し上げる。引っ込み思案なので全員にお酌はして回れないかもしれないけれど、少なくとも参加していない人間よりは評価が上がると信じている。

 良い悪いではなく、人は自分の為に時間を使ってくれた人間んを優遇する。それが仕事上のパフォーマンスに直結は絶対にしなくても、だけれども、少なくとも全く挨拶をしないタイプの人間よりは、ちょっとお酌した人間に色を付けてあげたい、というか無意識的にも色を付けてしまうのは、これは心情として確実に是。そういうのを完全に無視できる、例えばホリエモンのような人間ばっかりが集っているような、ある意味で先進的な世界には私は生きてはいないし、そういう人間だけが集う企業にも属していない。

 業界最大手かつベリー賢い人間が集う企業ですらこの体たらくなので、おそらく世間一般はそうなのだと思う。忘年会が開催された瞬間、出席する人間とそうでない人間の差分は否応なしに発生する。これも、自然の摂理だ。

 三つ。忘年会に参加することで、「絶対的」に私の評価を上げたいから。これまた前提として、私の勤める企業は外資系であり、無能な人間は間違いなくクビは切られるが、アスピレーション、要すればやる気が無い人間もクビをバサバサ切られていく。そしてやる気というのは、普段仕事をしているだけでは、悲しいかな特に私の場合は表に出づらいらしい。なので、忘年会の場を活用して、熱心にアッピールするのである。

 忘年会というのは、立場を異とする色々な人が集う場だ。本年お世話になった人に、来年も是非とも仕事をくださいと言い、またフロアが同じ人にも、是非とも来年はプロジェクトを一緒に、ということも主張する。所謂、社内営業だ。口を開けていれば仕事が降ってくるような素晴らしい職場にはいないもので。

 いや、もちろん、「私は能力的に平均を上回っているので、必要以上に媚びは売らずとも仕事にはあぶれません」、という人はこんな涙ぐましい、カスみたいな、全く本質的ではない努力をしなくてもよい。むしろ、時間のムダだから直ちに家に帰って自己の鍛錬に励む、あるいは休息に充てたほうがよいだろう。

 ただ、少なくとも後半年から一年以上は会社にお世話になりたいけれど、能力的に極めて厳しい状況に追い込まれている人間は、十重二十重の愚策を弄して仕事を取りに行かなくてはならない。それが嫌なら、辞表を突き付けて、あるいは突きつけるまでもなく会社をfireされるか、あるいは能力を踏ん張って底上げするしかない。そして私は当座会社に留まりたいが、かといって忘年会に不参加することで生じた4時間は、多分帰ってネットフリックスを見ることに熱心に費やしてしまうので、仕方なく忘年会に参加するのである。

 要すれば、私は間違っている。しかし、生きていくために、理屈を捏ねて策を弄して忘年会に参加するのである。ある程度会社に貢献している自身があり、この4時間で関係性をごくごくごく僅かに損なうことを恐れない人ならば、参加する必要はビタイチない。ただ、私はそうではないので参加する。それだけだ。

 会社の求める能力に満たないのに、忘年会に絶対に参加したくないという人。それは本能的には完全に正しいし、どう考えても忘年会の参加有無で評価が左右されるのはちゃんちゃらおかしいし、そもそも能力に応じて参加有無を雇用者が検討しなければいけない社会や企業は完全におかしいとは思う。思うけれど、その程度すら耐えられないなら、その会社向いていないよね。転職すれば、と思う。

 組織や社会の仕組みを変革するのは、我々一雇用者にとっては如何ともし難い難しさがある。そのことは、そろそろ理解していると思う。なんの役に立つのかさっぱり分からなかった真冬のマラソン大会とか、受験に使わない教科の定期試験をクリアするための一夜漬けとか、小学校のシャーペン禁止とか、スカートの長さ校則とか、そういうのがどうしてもひっくり返せなかった経験と、それをひっくり返すための労力を照らし合わせることは出来るはずだ。

 でも転職するような能力が身についていない、と言うような人は4時間を投入して忘年会に参加するしかないんじゃないだろうか。

 いや、忘年会を譲れば新年会、新年会を譲れば送別会とキリがないじゃないか! と主張する人もいると思う。なるほど、蓋し正しい。ただその会社を選ぶという選択をしたのはあなた自身だし、嫌なら転職すればいい。

 そういう企業に就職した君が良くない、と言わざるを得ない。そういうところしか就職出来なかったとしたら、高校や大学での勉強含む自己鍛錬が足らなかったんだよ、そのツケが回ってきたんだよとしか言いようがない。勉強が必要なことが知らなかった、とは流石に言えないだろう。社会はこれでもかってくらい警鐘を鳴らしてきたし、学校の先生は勉強しろと口を酸っぱくなるほど言ってきたはずだ。それを社会のせいにするには、流石に甘え過ぎではないかと思う。

 いや、勿論理想論的には、どの年次からでも挽回は出来るべきだし、そもそも忘年会が半強制的なのが良くないんじゃないかっていう、これもそもそも論になってしまうかもしれないけれど、現実は現実として忘年会は存在するし、君は忘年会が強制される職場にいる。世の中には無数に働き口がある中で、そういうことになっているのは、言い方は厳しいけど、選択した人に大いに責任があると言わざるを得ない。100%とは言わないけれど、少なくとも忘年会に参加しなくてもいい職場は世の中にはある。海外なんか、そういう職場が多いんじゃないかな。

 返す返す、忘年会に参加しなければいけない会社は間違っているし、それを暗黙の了解としているこの社会も間違っている。でも、それをひっくり返すのには忘年会に4時間参加する労力をあまりにも上回り過ぎているし、私たちはそういう社会に身を置くことを選択している。自覚は無くても、選んだんだ。それは紛れもない事実。

 忘年会の4時間を投入出来ない、と思う人は本当に正しいと思う。でも、生きづらいだろうな、と思う。不幸で、気の毒だ。でも、耐えるという選択肢しか与えられない、という状況もあるということをそろそろ気が付いて欲しい。そして、その選択肢しか選ぶことが出来ない責任の多くは、あなたにあるんだ。自覚的か、無自覚かにせよ。

 ま、そういう社会を変えたほうがいいのは事実なんだよね。でも、今は変わらない。だから、私たちに出来ることは、もし忘年会の参加可否の権力を持った時には、忘年会そのものを廃止する、という気持ちを胸に忘年会に参加するだけだ。桑田真澄が高校時代に、後輩に対して体罰をしなかったように。